
12月3日文京シビックセンターにおいて、ユネスコ「世界の記憶」を考える国民の会 第1回総会「ユネスコにおける慰安婦論争の現状と展望」が開催された。ユネスコ「世界の記憶」を考える国民の会は「ユネスコ 「世界の記憶」を考える国民の会」は、忠実なユネスコ「世界の記憶」登録を目指すことを目的として令和5年9月に発足した小山和伸を代表とする運動団体で、「慰安婦は性奴隷」という登録がされないように活動している。
総会では、基調報告として、ユネスコ「世界の記憶」を考える国民の会代表小山和伸がこれまでの経緯とこれからの動向、特別講演として推理作家の石井竜生が先に世界の記憶に登録された「南京大虐殺」について、その嘘を暴くとして最新情報を話した。
リレートークとして、杉原誠四郎、茂木弘道、山下英次、山本優美子各幹事が語った。各々の発言については発言者に依頼し、以下、文書で寄稿していただいた。

◆基調報告 小山 和伸 代表
これまでの経緯と現状およびこれからの動向
一般に歴史的に無かったことの証明、不存在証明は存在した証明よりも難しいが、慰安婦強制連行がなかった証明は、以下の二つの事実から明らかである。
第一に、戦後日韓基本条約締結に向けた交渉過程で、強制連行の問題がただの一度も議題となっていない点である。韓国政府は現在でも、戦時中20万人に及ぶ朝鮮人女性が日本軍によって、一般家庭から強制的に連行されたと主張している。もしこれが事実なら、戦後に独立した韓国に対する支援や補償を議論する日韓交渉において、なぜ強制連行に関する解決策や補償問題が一度も議論の俎上に上がらなかったのか。日韓交渉は、連合軍による占領下から日本が独立主権を回復した昭和27(1952)年から本交渉が開始されたが、予備交渉はその前年昭和26(1951)年から開始されている。基本条約締結が昭和40(1965)年であるから、予備交渉を含めれば日韓交渉は14年間の長きに亘って行われた。この長い交渉過程の中で、20万人にも上る一般婦女子の誘拐・強制連行が、ただの一度も議論の対象にならないなどと言うことは、到底あり得ないことである。即ち、当時交渉に当たっていた関係者は、日韓共に当時の慰安婦が募集に応じて応募した女性達であり、かなりの高給を給付されていた商行為であったことを自明として理解していたのである。
第二に、強制的に連れ去られる現場を見たと言う目撃証言が、いまだにゼロである点である。「無理矢理連れて行かれた」と言う当人の被害証言はいくつか存在するが、事実関係を突き詰めれば、場所や時期の甚だあやふやな怪しげなものばかりである。しかしながら、さらに怪しげなることは、目撃証言が皆無であることである。一般家庭から連れ去られたと言うのなら、何故その家族の目撃証言が無いのか。また近所隣の人々は、誰も観ていなかったというのであろうか。誰の目にもとまらずに、一般家庭から20万人もの女性を拉致誘拐することは、絶対にあり得ない。
以上の二点を以て、慰安婦強制連行や性奴隷説は完全に論破されている。犯罪集団による誘拐や人身売買は存在したが、それらの多くは当時の警察によって摘発されている。この摘発の新聞記事や、あるいは高給を謳った慰安婦の募集記事は沢山実在している。
強制連行説を主張する人たちは、上記二点の事実、つまり何故14年にも及ぶ交渉過程で強制連行が議題にならなかったか、そして何故強制連行の目撃証言が皆無なのか、この二つの疑問に答えなければならない。
◆特別報告 石井 竜生 ( 推理作家 )
ユネスコに登録された南京大虐殺の嘘を暴く! 最新情報
1 『日記』はアガサ・クリスティの名作『検察側の証人』だった
2 1995年に見学した南京大屠殺祈念館が今では
3 『My abundant life in Nankin〈心豊かな南京の日々〉』
南京のキリスト教団体が共同で発行していた機関誌『チャイニーズ・レコーダー』
1938年7月号・8月号
4 原書の7つの単語を抹消して〝南京虐殺〟を捏造した
『日記』の翻訳者は、正確な日本語に訳していた。
《It really has not been that for us hear at Ginling ; in fact we had have some bits of heaven on our campus》
5 『ベルリン解放の真実』と連れ去られた12人の娘たち
日本軍の入城から4日後の12月17日の夜。12人の少女が、日本軍のトラックに乗せられ、「助けて」と叫んで連れ去られる姿を、ヴォートリンは呆然と見送った。その1ヶ月後にも「ひと月前、12人の少女が連れ去られた恐怖を忘れることができるだろうか」と追記。 ところが100日後の3月26日。強姦されて殺されたと思っていた18歳の娘が、大学内で友だちとゲームに興じている姿に愕然とし、直後に安堵している。娘は娼婦だったのだ。
6 堕胎
『1945年・ベルリン解放の真実』によると、独ソ戦に勝利したロシア兵がベルリンに乱入。老婆から少女まで、2ヶ月にわたりレイプし、2万人が妊娠した。ヒットラーに命じられ、最終戦に備えていた外科医たちが必死に堕胎手術を行ったが、1割・2千人が生まれてしまった。この混血児問題は、戦後ドイツの暗鬱なタブーだったという。
その本の冒頭の6頁は「一九三七年の日本軍の南京侵略と並ぶような、特異なできごと」と書き、脚注に小文字で「日本軍の南京侵略で、数日間で約二万人の女性が強姦された」という説明があった。〈殺人〉ではなく〈強姦だけ〉という記述も留意したい。
しかも混血児問題は、南京では一度も問題になっていないのだ。クリスマス後の26日には、自宅に帰る女性もいると書いていた『日記』が、事実だったのである。
『1945年・ベルリン解放の真実 戦争・強姦・子ども』パンドラ社・14頁
7 強姦
1万5千人の女性と子らが避難していた大学構内を、ヴォートリンは、時間があれば巡廻し、教室や地下室で男女が抱擁している姿を、数回、目撃している。彼女に気づいた男(日本兵)は、怒りはせず黙って立ち去っている。
蒋介石の本隊25万人が重慶へと退避すると、揚子江の渡し船の切符が買えた百万の市民が後を追った。城内に取り残された20万人の貧困層は、安全委員会が用意した五カ所の難民キャンプに分散した。金陵女子短大は女性と子らだけを収容していたので、むろん売春婦が多数含まれていた。
12月24日に、日本軍の軍事顧問から、認可慰安所を開設したいので売春婦百人を選んでほしいとの正式な依頼があり、21人が名のり出たと書いている。
Wikipediaを読むと、日本軍の入城から4日後の12月17日夜の『日記』が引用されている。12人の少女が日本軍につれ去られる姿を、ヴォートリンは呆然と見送ったと書き、年明けの『日記』には、「ひと月前、12人の少女が連れ去られた恐怖を忘れられない」と追記して紹介。ところが3月26日に、連行されて強殺されたと思っていた18歳の娘が、大学内で友だちとゲームに興じている姿を見て愕然としている。少女は娼婦の1人だったのだ。殺戮・強姦の現場は一例も目撃していない。
8 遺体収容
蒋介石の迎撃命令で、南京に残された5万の支那兵は、日本軍が迫ると戦意を棄て、民間人の服を買い、あるいは奪い、生きのびを測った。この市民に化けた兵を、スパイを意味する「便衣兵」と呼ぶ。武器を隠していると危険なので、身分が露見した1万5千人を、ハーグ陸戦条約に基づき、スパイ罪で処刑した。銃を撃ちつづけた指のタコや、兜の日焼け跡などから、職業軍人か否かを見破っていた。
攻防戦で死んだ中国兵の遺体は、真冬の池や凍った農地に放置され、春まで回収できなかった。赤十字に当たる紅卍会と埋葬業の崇善堂が収容にあたり、費用の半分は日本軍が負担した。秩序の回復にむけ、日本軍と南京市は協力していたのである。
9 南京に残った貧困層20万人が一夜で25万に増えた理由
蒋介石軍の唐生智指揮官は5万の兵を託されたが、日本軍が南京に迫ると姿を消し、のちに毛沢東の共産軍に鞍がえている。司令塔を失った兵らは、慌てて民間人に化けようと服を買い、あるいは奪って生のびを図った。
この市民に化けた兵は「便衣兵」と呼ばれる。武器を隠し持っていると危険なので、ハーグ陸戦条約は、スパイとしての死刑を認めていた。銃を撃ちつづけて出来た指のタコや、兜の日焼け跡から、職業軍人か否かを判断していた。
南京の攻防戦で戦死した中国兵の遺体は、真冬の池や農地に放置されていた。大地が凍り、回収作業が出来なかったのだ。春に入ってから、赤十字にあたる紅卍会と、埋葬業者の崇善堂が収容を開始。費用の半分は日本軍が負担し、夏には埋葬作業を終えている。日本軍は、誠実に南京市の秩序回復に協力していたのである。
金陵女子大に逃げこんだ中国兵たちが、平服を手に入れて市民に化けることを、28人の中国人職員は懸命に手伝い、ヴォートリンも見逃している。構内には蒋介石軍の手で塹壕が掘られ、女子大校舎の地下室や天井裏には、小銃・機関銃・大砲まで隠されていたが、職員たちは、池に沈め、屋根裏に運びあげて隠し通した。
日本軍は何度か校内視察にきたが、なぜか深くは探査していない。逃亡兵たちは既に無力化されており、〝武士の情け〟で黙認していたようだ。
大学の出入り口は、トラックがすれ違える広い校門だけで、避難してくる女性が毎日数百人。だが門番は日ごとに減り、29日には、大使館の警官1名と女子学院の警備員3名だけ。大晦日の31日に遠藤というすばらしい日本人と憲兵がやってきて援助を申し出てくれた。信念を失ってはいけない、と書いている。
◆リレートーク 国民の会幹事
杉原 誠四郎 韓国の歴史から慰安婦問題を考える
11月27日の第4回日韓合同シンポジウムでの挨拶で述べたことだが、これからの日韓の親善・融和を考えていくためには、韓国が半島国家で日本が島国国家であることの特色を考えておくとよい。
韓国は半島国家で、中国王朝の脅威につねにさらされながら国家の運営を行ってきた国であり、日本は、島国であり、中国の王朝の脅威に直接さらされるということが少なく、国家の運営を行ってきた国である。
このような地政学的な条件のもと、韓国にあっては、支配階級たる両班は、社会的地位を守るために中国の王朝への配慮がもっぱらとなり、国は滅びなかったが、一般庶民をしては安全にして生活を豊かにするという使命を十分に果たすことができなかった。
他方、日本では、他国からの脅威がなく、支配階級たる武士は、庶民の安全を保障し、生活を豊かにするという支配階級の使命を十分に果たすことができた。その結果、1868年、明治の時代に入る時点では、日本国民は韓国国民と比べてはるかに自由で豊かな生活をしていた。
このような地政学的な原因に基づいて生まれた政治的・文化的状況の下で、日本が1968年、明治の時代に入って韓国と日本とが繁く行きかうようになると、日本国家及び個々の日本国民の韓国国内における優位な立場に基づく行動が、韓国国民の怒りを引き起こすことになったことも多々あったことは否定できない。が、しかし、1910年の日韓併合以降、韓国に対する日本政府の政策は、韓国に対して近代国家としての必要な制度を整え、経済的にも日本国と同じように豊かにすることを目指したものであり、欧米諸国がアジア諸国においてなした植民地政策のように、単に搾取するための政策とは根本的に違いがあったことを認めなければならない。
が、ともあれ、21世紀の現時点、韓国と日本は、極東にあって世界有数の経済的に豊かな民主主義国家として存在している。この両国が親和を深め、協力することは、両国のためだけではなく、アジア及び世界の平和のためにも重要なものになっている。したがって韓国にあっては、慰安婦の強制連行など史実にないことをもってあげつらうようなことはなすべきではない。
ところで、韓国の政治の不安定には憲法の欠陥によるところが大きい。特に政治に関わる判断を、司法、裁判所に求めるところが大きく、これは欠陥である。また、現大統領李在明大統領は尹前大統領の罪の追及に懸命に挑んでいるが、もしかすると、刑が決まったところで、恩赦にして免罪にするかもしれない。このようにして、これまでの前大統領に対して刑を追及する韓国の悪しき政治慣例を断ち切って、偉大な大統領になるかもしれない。そうすれば自己も大統領を辞めた後、罪に問われることはなくなるだろう。このことを韓国の人は真剣に考えて欲しい。そして同時に李大統領は、慰安婦問題等で韓国内の嘘の糾弾を鎮静化させて欲しい。
茂木 弘道 われわれが戦っている環境
「南京虐殺」「慰安婦強制連行・性奴隷化」など日本を貶める歴史捏に対して我々は戦っているのであるが、その国際的な環境はひどいものである。
なぜ、こうした歴史偽造があたかも当然の事実であるかのように、国際的に認知されているのかと言えば、欧米の歴史学界が、日本は途方もない侵略戦争を行った犯罪国家であるという、いわば「東京裁判史観」が世界の常識となっているためである。
2021年に「ラムザイヤー事件」が起こった。慰安婦は契約に基づき高額の前受け金を得て仕事をしていた、という事実を述べた論文が学術誌に掲載されたことに対して異常な反撥が韓米の学者の間で起こり、論文撤回を要求する署名運動となったのである。何とハーバード大学を含むアメリカを中心とする学者3000名余りがこれに署名したのである。
これがなぜ「異常」なのかと言えば、慰安婦強制連行は唯の一件も文献、第三者証言などで立証されていないのにもかかわらず、学者ともあろうものが、当然の事実であると思い込んで、論文撤回に賛成署名を行ったからである。更に、学問的な問題を「事実による論破」ではなく、問答無用の「撤回」要求を恥ずかしげもなくしたという異常さである。
こんな異常がなぜ「公然」とおこなわれたのかと言えば、要するの、議論以前から「日本は悪逆無比の戦争を行った国である」と信じ込んでいるためである。そういう国だから、慰安婦強制連行は「当然行われたはずだ」と思い込んでしまっているのだ。学者のくせに。
ところで、こうしたアメリカの学者の思想傾向は、言葉の正しい意味のリベラルではなく、「文化マルクス主義」が、大学、知識人、マスコミなどに浸透してきていることに依って拍車が駆けられている。
『世界日報』紙は「トランプVS米名門大学―「文化マルクス主義」との戦い」と題して、大学の左翼支配の実態について12回にわたる特集を連載している。
左翼の大学支配の象徴的な事件が、今年発生した。「大学は反米・反自由・親マルクス主義の世界観を強化する左翼のエコーチェンバー(共鳴室)と化した」と批判する31歳の論客リチャード・カーク氏がユタ州の大学で開かれた公開討論中に、射殺された事件である。これは異常な現象というより最近の潮流の象徴的な事件とみるべきである。
全米の大学教員が作成したシラバス・データーを見ると、圧倒的多数が、左翼専門家の書籍であることが判明した。即ち大学は極左活動家の養成所と化しているのである。ハーバード大学の学生新聞調査によるとハーバード大学の教授の82%がリベラル派(実は左翼)で保守派はなんと1%であるという実態であるが、こうしたことは単に自然に起こったわけではない。ハーバードをはじめ多くの大学はDEI(多様性・公平性・包括性)という一見もっともらしい基準を教員採用の条件にしているが、これは左派的なイデオロギーを強制する手段となっているのである。
トランプは、歴代共和党政権も取り組んでこなかったこの問題に対する真向からの挑戦を開始した。このDEIという方針を取り下げないと、大学に対する補助金を停止するという措置である。ハーバードはこれに抵抗を示してもめているが、すでにこれを受け入れた大学も出てきている。例の男性の女性自認者が陸上競技の女性枠に参加することを認めたペンシルバニア大学、コロンビア大学などである。このトランプの挑戦がどれだけ勝利するか、大きな潮流の変化を生む可能性が期待される。大学の左翼支配の崩壊にまで進むことを期待したい。
日本の大学の左翼支配は、東京裁判史観の支配という形で行われているが、その根底思想はアメリカに見られる文化マルクス主義と相通じている。トランプを我々の戦いの同志としていかねばならないと思う次第である。
山下 英次 改めて国連の問題点を考える
ユネスコも国連機関の一つなので、今日の私の話は、国連というものの問題点について述べることにしたい。
国連は、フランクリン・ルーズヴェルト大統領が、日独を敗北させた後、その枠組みをベースとして世界平和を実現させるとする途方もない妄想の下に誕生させたものである。その発端は、1941年8月の米英両国による「大西洋憲章」にあり、実はその頃からイギリスが企画に深く関与していたことが知られている。しかし、最終的には、ソ連の関与も大きかったことが注目される。
まず、「国連憲章」(1945年10月24日発効)は、「1936年ソヴィエト憲法」(「スターリン憲法」)を下書きにしたものとされ、両者は構造がかなり似ていると言われる。また
、「連合国憲章」(「国連憲章」)は、サン・フランシスコ会議(「国際機構に関する連合国会議」)で、同年6月25日に採択され、翌26日に国連が成立した。
国連にソ連を入れることにこだわった連合国は、サン・フランシスコ会議で同国に大きな譲歩をしたと言われる。国連安全保障理事会(UNSC)の常任理事国に与えられた拒否権(veto)も、ソ連の要求で入ったものであるが、これによって、案の定、UNSCは機能しないまま今日に至っている。また、同年4月25日に開会され長きにわたったサン・フランシスコ会議の実質的な事務局長として会議を取り仕切ったのは、米国国務省高官のアルジャー・ヒスであるが、今日では彼はソ連のスパイだったとして知られている。実は、外務省でニューヨーク国連日本政府代表部に勤務した経験を持つ連中の中には、現在、国連を最もうまく利用しているのはロシアだという人が少なくない。国連の機能を知り尽くしているということであろうが、近年、中国も国連を利用することにかなり長けてきているので、わが国としては厳重な警戒を要する。
国連は、このようにロシアや中国が幅を利かせている所であり、わが国にとっては、そもそも時としてかなり苦しい対応を迫られる場であるとの認識を、日本人としては明確に持つことが肝要である。その上で、中露などから仕掛けられる様々な論戦に立ち向かわなければならない。
国際歴史論戦研究所(iRICH)を中心に、日本のNGOも国連ジュネーヴの人権理事会(UNHRC)の場で10年以上戦ってきたわけであるが、その前身である国連人権委員会は、1946年2月16日に、FDR大統領の未亡人エレノアが中心となって発足させたものである。エレノアは、思想的に「限りなく赤に近いピンク」と言われるような人として知られる。出自がそうであることが影響してか、現在、ジュネーヴの国連人権理事会や各種人権条約体委員会に参加している人たちは、国籍を問わずほとんどすべてが左翼である。
わが国が、国連で苦境に立たされる場面が、それほど少なくないのは、そもそもFDRが、第二次世界大戦で戦うべき敵を取り違えたからである。この点については、チャーチル英国首相、ハーバート・フーヴァー元米国大統領、GHQ参謀第2部(G2)トップのチャールズ・ウィロビー少将など多くの人々が著書で事実上認めている。FDRが、公に日独を敵に回すような発言をしたのは、1937年10月5日のシカゴにおける「隔離演説」である。当時のアメリカにとって最大の敵は、共産主義の全体主義的独裁国家であったソ連であったはずであるが、FDRは、事もあろうに戦うべき敵を取り違えるという初歩的かつ根源的な政策上の間違いをおかした。
その結果、ソ連を戦勝国としてしまったために、戦後、世界中に社会主義国が蔓延ることになった。第二次世界大戦の開始時には、世界に社会主義国は僅か2カ国しかなかった。ソ連とモンゴル人民共和国である。しかし、戦後のピーク時には、社会主義国は世界に41カ国が存在した。これは、自由主義世界にとって大惨事に外ならない。他方、スターリンにとっては、初めから終わりまで、アメリカはいずれ倒さなければならない最大の敵であると固く信じ続けていたはずである。
山本 優美子 「慰安婦=性奴隷」に利用される国連、ILO、ユネスコ
1.国連から始まった
1992年、弁護士の戸塚悦朗氏が慰安婦を「性奴隷」と表現したのが国連における慰安婦問題の始まりだ。戸塚氏によると「性奴隷」と言ったのは「勘だよ、そうしたら注目を浴びた」のだそうだ。素晴らしい勘である。以来、日本の左派NGOが国連に足を運び、「慰安婦は日本軍の被害者」だと主張し、活動し続けていることは皆さんご存じの通りだ。
日本政府はどう反応したか。当初、日本政府は首相がお詫びの手紙を送った等のアジア女性基金の取り組みを説明するばかりで、事実関係について一切反論しなかった。日本政府が初めて反論したのが、20年以上経った2014年7月の自由権規約委員会の対日審査会だった。「性奴隷との表現は不適切である」と。その場にいた我々は思わず拍手し、議長に注意されたのを覚えている。これが2年後の2016年女子差別撤廃委員会での杉山審議官(当時)発言にも繋がった。
2. ILOでも「性奴隷」
戦時中の慰安婦と産業労働者はILO(国際労働機関)に強制労働条約違反だと認定されている、年次報告に書いてある、との主張がある。そこで、私はILOの年次報告を1994年版から2022年版まで調べた。分かったことは、ILOも国連と同じような仕組だったということだ。
ILOでは条約勧告適用専門家委員会が年次報告を発表する。委員は毎年一回集まり、3週間ほどで187加盟国が条約を守っているかを審査する。調べるにはかなりの作業である。そこで、各国の労働組合からの意見書を参考にする。
1996年に初めて大阪の教員組合が委員会に「慰安婦は戦時の性奴隷の被害者である」、「日本は強制労働条約に違反している」という意見書を送った。いったい誰が最初にILOに訴えようと考えたのだろうか。それはあの「勘」で性奴隷と言った戸塚悦朗弁護士である。ILOにまで活動を広げたとは、恐れ入る。その3年後の1999年には、初めて戦時産業強制労働問題がILOで取り上げられている。
国連の場合はNGOが意見を委員会に送る。ILOの場合、労働組合が委員会に意見を送る。労働組合は左派が多い。たくさんの労働組合が慰安婦問題と戦時強制労働についてILOに意見書を送り続けた。一番多く意見書を送っていたのは韓国の「韓国労働総連盟」と「韓国全国民主労働組合総連盟」である。
労働組合からの意見をうけて、ILOは年次報告書の中で日本政府に「慰安婦に対する責任を受入れて、救済の措置を講じることを望む」という見解を出した。日本政府の回答は「韓国が受けた損害と苦しみを認め、遺憾と反省をくりかえしてきた」であった。日本が悪かったと認めたかのようである。
それから20年以上経った2019年にやっと、日本政府は初めて委員会に対して「強制連行」を否定した。「日本政府は1990年代初頭から慰安婦問題に関する本格的な事実調査を実施しており、研究した文書の中で、慰安婦の強制連行は確認できなかった」と回答したのだ。90年代に調査していたなら、慰安婦問題が取り上げられた1996年時点で何故反論しなかったのだ。
3.ユネスコで阻止
国連においてもILOにおいても、火付け役は日本人、煽り役は日本の左派NGOと左派労働組合、そこに韓国の団体も加わって、広まったのが慰安婦=性奴隷と戦時中の強制労働(所謂徴用工)の話だ。問題化した当初に日本政府が事実関係を否定しなかったのも火が広まった大きな原因である。
その間、日本国と日本人の名誉がどれほど貶められてきたのか。そして今、ユネスコも利用されようとしている。我々はこれを絶対に阻止せねばならない。
(令和7年12月28日報道)